「ヨナオシフォーラム2020」(代表世話人:金子勝)は、平田オリザ氏をスピーカーに迎え、下記のとおり、第3回 集会を開催しました。
コロナ禍で日本の文化・芸術への冷淡さが浮き彫りになったのとは対照的に、メルケル独首相は「連邦政府は芸術支援を優先順位リストの一番上に置いている」と語り、文化・芸術を私たちの生活に不可欠なものと考える欧州との違いが際立っています。
平田オリザ氏が主宰する劇団「青年団」は兵庫県豊岡市に拠点を移し、偶然にもコロナ禍が重なった中も江原河畔劇場設立のクラウドファンディングを成功させ、無事に開幕しました。平田オリザ氏は、豊岡を世界に直結した芸術文化の国際拠点にすることを目指して、21世紀の『城の崎にて』とする構想を持っています。今回はその平田オリザ氏を招いて、コロナが浮き彫りにした日本の問題と、これを改善してゆく道のりを語っていただきます。
開催概要
日時:2020年8月5日(水) 15:30 〜 17:00
会場:衆議院第2議員会館 第5会議室 および Zoom
主催:ヨナオシフォーラム2020(代表世話人: 金子勝)
講演:
「コロナ禍が明らかにした日本の文化芸術への対応の課題とその改善策」
平田オリザ
劇作家・演出家。劇団「青年団」主宰。こまばアゴラ劇場芸術総監督、江原河畔劇場芸術総監督、城崎国際アートセンター芸術監督。豊岡市芸術文化参与。豊岡演劇祭フェスティバル・ディレクター。四国学院大学教授。兵庫県豊岡市に2021年開学予定の国際観光芸術専門職大学(仮称・構想中)学長候補者。1962年東京生まれ。1995年『東京ノート』で岸田國士戯曲賞、2018年『日本文学盛衰史』で第22回鶴屋南北戯曲賞を受賞。2019年より豊岡市日高町に移住、円山川を臨む旧町役場を改装し、2020年に劇団の新拠点「江原河畔劇場」を設立。

平田オリザ
まとめ
- 文化芸術を担うアーティストは「生命維持装置」という欧州と同様な成熟したコンセンサスを日本でも確立するために、異なる価値観をすり合わせる「対話」や他者を理解する「共感」を育むことが必要で、演劇が役立つ。
- 日本国憲法25条の生存権が保障を求める生活は、「文化的」であると規定されている、この「文化権」を踏まえ、ポストコロナで懸念される文化の地域間格差などを埋めていくために教育の拡充や演劇の活用が求められる。
講演要旨
- 文化は生命維持装置という欧州:モニカ・グリュッタース独文化相は「アーティストは必要不可欠であるだけなく、生命維持に必要だ」と発言した。
- 欧州の劇場の最大のミッションは人類の遺産となりうる作品を作ることと、今その社会において課題となっている事柄について市民たちが議論や対話ができるような作品を上演すること。だから国籍は問わないし自国中心主義には陥らない。
- 他方、瀬戸内国際芸術祭で香川県議会議員が「県の予算だから県のアーティストを使え」と発言したが、これが欧州ならレイシストと認定される。延期になった東京オリンピックの文化プログラムが、あまりうまくいっていなかったのは、日本文化の発信に重きを置きすぎたから。
- 会話から対話へ:異なる価値観をすり合わせる「対話」は面倒くさいが重要。日独伊の3カ国は他の主要国に比べて国家統一が比較的に遅く、近代化と言葉の統一を急いだ。第1次世界対戦後のパリ講和会議で、ドイツは裁かれる側、イタリアはアドリア海の権益を巡って決裂して帰国、日本は大代表団を送り込みながら一言も発言しなかった。この「対話」の言葉を欠いた3カ国がその後にファシズムに走った。
- 2500年前の民主主義の起源であるアテネでは、初めて自分たちで自分たちの事を決めることに戸惑っただろう。そのアテネでは演劇祭の参加は、アテネ市民にとって権利であると同時に義務でもあった。そこで異なる感性をすり合わせる努力をした。日本でもかつては農村歌舞伎などがあったがほとんど失われた。
- 同情から共感へ:日本は弱者に同情する優しい民族だが、全く異なる価値観とか文化的な背景を持った人の行動を理解しようとする力が弱いのではないか。今回の「ステイホーム」のホームは物理的な家ではなく「帰るべき場所」の意味。これを「おウチにいよう」と幼児語に訳さざるをえず、世界で最も独居率の高い日本で疎外され見放された人たちがネットで凶暴化したのではないか。
- 東日本大震災などでは「目に見える被災者」(=弱者)が居て同情する対象がいたが、コロナではクルーズ船やライブハウス、ナイトクラブなどで感染者が出ても同情されず悪者扱い。演劇を再開しようとしても激しい批判が寄せられる。これらは共感=他者の立場で考えることができないから。生命は誰にとっても最も大切だが、その次に大事なものは一人ひとり違う。その「違い」に思いを馳せることが重要で、そこが芸術の役割。
- 日本の文化政策基盤の弱さ:今回、日本政府は通常予算の5割に相当する560億円もの緊急文化支援予算を最終的につけた。しかしその予算の理念が政治の世界からなかなか出てこなかった。日本では、芸術は社会全体にとって、まだ共通の「生命維持装置」ではない。ここが日本の文化政策の基盤の弱いところ。
- 豊岡での取り組み:豊岡はコミュニケーション教育の柱で演劇教育を市内の全小中学校で実施。日本初の演劇とダンスと観光を学べる公立大学もできる(認可申請中)。観光政策と文化政策は一体だが日本は縦割り。それを豊岡の大学で先行実施する。アジア初のフリンジ(自主参加)型国際演劇祭も開催する。
質疑応答
なぜ欧州では手厚い予算も含めて必須なものとして認知され、日本ではそれが足りないのか?
文化予算はGDP比でいうと先進国平均の1/4、韓国やフランスの1/10。韓国は、日本の停滞の原因はクリエイティビティが不足と分析してきた。また根底には植民地支配のもとで自国の言葉や文化を奪われたことがある。日本はそれが奪われた経験のない稀有な国。文化はアイデンティティ。また政権交代で文化予算が増えるという例も多い。
ドイツは文化支援が3本柱の一つ、生命維持装置というまでの認識はなぜ生まれた?
文化予算はナチスが最大だったように増やせばよいわけでない。ナチズムへの反省から文化の地方分権をして、他者の理解や精神文化を重視した。日本国憲法にも「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」(第25条)が規定されているが、これが空文化しているのは政治的怠慢。
「正しく恐れる」ための対話が必要だができないジレンマがあるがどうすれば?
他者理解が重要だが、恐れや不安を取り扱うのが政治は苦手だと認識すること。日本は共感(思いを馳せる能力)の教育が遅れており、時間をかけて育てる必要がある。
公立大学を新設すると言うが、大学を増やしすぎではないか?
大学は東京など都市圏に集中しすぎ、地方には少ない。豊岡は移住や地域おこし協力隊も急増しており波及効果が大きい。過去の企業誘致は間違ってなかったが、現代は別の魅力(とくに女性が住みたくなる魅力)を地域に創る必要がある。
教育の見直しが必要ではないか?
教育は財界の影響で歪められてきたこと、地域間格差が広がることが問題。教育改革と一体で地方の文化政策の見直しが必須。そもそも予算を増やし先生を増やすべき。
日本は古来の建物文化の良さを捨ててきたのではないか?
日本は耐震やそもそも短期的に壊すことを前提に作られているのでリニューアルしにくい建物。建築物は、地方政策として地域の資産として位置づけることが必要。
このままオンライン化が進むとどうなるか?
配信はずっと以前からやっており(ニューヨークのMETオペラなど)、オンラインで見た人は本物を見に来る。しかしこのままだとコストが上がり、本物が見られるのはお金持ちと都市圏だけになり文化格差が広がることが問題。
前衛的な文化は文化庁予算を申請しにくいが?
アーティストは文化庁の予算応募が苦手。教育も受けていない。韓国はアーティスト相談センターを2月に作った。
兵庫県ポストコロナの提言「人がつながるサードプレイス」の創出が必要とは?
人と繋がれる「居場所と出番」(社会的包摂)という意味。
不寛容の打破は?
そのためにアートがあり、そのための芸術教育が必要。
地方からの大学1年生の孤立はどうすればよいか?
大学も危機的で、防戦一方だ。特に地方から出てきた学生の孤立化の加速が問題だが、これはチューターやポスドクの活用、全寮制によるサポートなどが必要。